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1-1.なぜ便利屋をはじめたか?

私が便利屋を始めようと思ったきっかけは、元祖便利屋・右近勝吉さんの「人のために人となる人」という本を読んだのがきっかけです。

その当時私は、人の話を聴いてあげる話し相手や、相談相手の仕事がしたいと思っていました。そのため、コーチングの勉強をしたり、ファイナンシャルプランナー(FP)やキャリアカウンセラーの資格を取得したりしました。

しかし、コーチングやFPやキャリアカウンセリングでは、私が想い描いているような“話を聴く仕事”に結びつきませんでした。

そんなとき、右近勝吉さんの本の中で、便利屋に“お話し相手”や“悩み相談”の依頼が多くあると聞き、「これだ!」と思ってすぐに開業しました。

相手の事をクライアントと呼び、先生と呼ばれる身分で話を聞いたり相談にのったりするのではなく、むしろ相手よりも一段と低い身分(便利屋)で、ひとりの人として、話を聴いてあげるという仕事。あいての全てを無条件で受け入れ、こころに寄り添う、人とふれあう、そんな仕事に憧れたのです。

最初は、「お話し相手」専門サービスでした。早速チラシを作成し、自分の住んでいる町内に配布しました。

結果は・・・、見事に、何の音沙汰も無しです。待てど暮らせど、依頼はきませんでした。

今考えれば、それはそうですよね。見ず知らずの誰だか分からない人間に、すぐにお金を払って「話し相手」になってもらおうなんて。なにより今は物騒な世の中ですから、逆に怪しまれるのも無理はありません。

しかし、当時の私は文字通り“舞い上がっていた”ので、そんなことは全くもって考えずに、いつかお話し相手の便利屋として、成功するものだと信じ続けていました。

生活費に、困るようになるまでは・・・!

「このままではやっていけなくなる。。。」 銀行口座が底をついて、さすがに危機感を感じた私は、法人であることを利用し、商工会議所に行って借り入れの相談をしました。

その結果、半年分の資金を、国民金融公庫から借り入れることができたのです。当面のお金ができた事で、こころが安心しました。しかし、これが過ちを更に深いものへと変える始まりだったのです。

とりあえず私は、最初から話し相手になるのは無理だから、草むしりとか庭掃除とか部屋の片づけをして、まずはお客様と親しくなって信頼関係を築いてからでないと駄目なのだろうと考えるようになりました。

そして、いわゆる一般的な便利屋のサービスを開始したのです。お金ができたので、ポスティング業者を使ってチラシの印刷・配布を任せるようになりました。そのほうが効率的だと思ったからです。

実際、その通りでした。ただし、チラシからの依頼がずっと続けば・・・の話です。

チラシを配るとすぐ、最初の依頼が来ました。粗大ゴミをゴミ置き場にまで運ぶ依頼です。一時間ほどの作業で、5千円頂きました。これが、記念すべき最初の依頼です。

このお客様は、私のチラシの文面を気に入ってくれたみたいで、だから依頼したのだと言ってくれました。本当に嬉しくて、帰り道は意気揚々と住み慣れた街を闊歩し、これからは前途洋々に思えました。

しかし、チラシの効果は、一週間ほどで静まってしまいました。焦った私は、もっと良いチラシを作ればきっと依頼は来るはずだと、意気込んで凝ったチラシを作成し続けました。

チラシを撒けば、その分だけ問い合わせが来ました。一部の人はそのチラシとフィーリングが合ったようで、何回か依頼を受けることもありました。

しかししかし、暫くするとその効果は消えてしまいます。時々リピートの依頼が入るようになりましたが、1軒の顧客がそうそう便利屋を必要とするものでもなく、仕事の無い日が続いたりもしました。

お陰さまで、チラシから集客し、いまでもリピートの依頼を頂くお得意様も何人かいらっしゃいます。気に入られる人にはとことん気に入られるようで、そんな事がとても嬉しくて、それだけを頑張る糧に次のチラシへと向かいました。

チラシを打てば、反応がある。だから、いつか優良な固定客がチラシから集客できて、上手くやっていけるようになるだろうと、持ち前の楽天的思考のもと、取らぬ狸の皮算用を繰り返して、こんどのチラシこそは最高傑作だと自分で信じ込み、チラシを撒き続けました。

そしてついに、なかなか思うように集客できない苛立ちと不安が、大勝負へと向かわせてしまったのです。一気にチラシ配布のエリアを拡大し、自分の事業規模に見合わない広告費を導入して、渾身の力を込めてチラシを配布しました。

そしてきたのは、電話問い合わせが、たったの2件だけでした。しかも興味半分の問い合わせで、受注はできませんでした。チラシのタイミングが悪かったのか、内容がイマイチだったのか、とにかく大勝負で大失敗しました。

もうチラシを撒く余力は、残っていませんでした。ジ・エンド。借金を返すアテもありませんでした。資金を手に入れてしまったばっかりに、慣れないチラシ広告費にどんどんつぎ込んでしまったのです。

明日からどうやって生活していこうか、便利屋を始める前の仕事に上手く戻れることができるだろうか、あるいは、一時的に就職しようか、それとも、実家に帰って家賃の無い生活でしばらく耐えつなぎ、地元で再起を図ろうか、いろいろ悩んだ末に、諦める前にもう一つだけ試してみようと思ったことがありました。

それは、ホームページのリニューアルでした。便利屋開業当時もホームページを開設してはいましたが、1ページだけのホームページで、そこからお客様が依頼してくるようなホームページではありませんでした。

ホームページから集客するということは、東京のいろんなところから依頼が来るということです。自分がいま住んでいる町内で、地域密着で便利屋をやっていこう、ここに住んでいる人たちのためだけの話し相手になろう、そんな夢ははかなく潰えてしまったわけですが、選択の余地はありませんでした。

そうして、ここから、私の便利屋ビジネスが、新しい方向へと舵取りを始めたのです。

ABOUT THE AUTHOR

喜泉堂
キッズプログラミングの記事を担当している、当サイトの運営・管理人です。京都の町家に住んでいます。夫婦と息子(3歳)の三人暮らし。個人で3つのサイト運用をするかたわら、Webコンサルティングやコンテンツ作成アドバイスをしています。話を聴くことと、コーチングが得意です。好きなものは、自然、海、温泉、動物、見知らぬ街。世界中を旅したい!
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